具象と抽象のあいだ、あるいはグラフィックによる建築的和姦 (Between the Concrete and the Abstract, or Graphics’ Architectural Adultery)

 むかし磯崎新が「ソフト・アーキテクチャー」という概念に絡んでグラフィックによる建築的な代替行為のことを書いていた気がするが、とかく建築家は自身の作品に余計な情報が付与されるのを嫌う。なかでも一番忌避されるもののひとつは具象的な装飾だろう。歴史主義的ポストモダニズムが絶命し、とにかく物質や空間を抽象化していくことこそがデザインの定義だとでも考えられているかのような昨今、天井いっぱいに龍や大天使を描くような蛮勇はもはや認められない。もちろん壁にポスターを貼り付けたり絵画を掛けたりするくらいなら許容範囲内だが、そんなものは建築そのものに干渉しないという不思議な不文律のお陰だろう(クーパー・ユニオンの廊下にチラシを貼った学生に激怒したジョン・ヘイダックの逸話もまた、過去のものだ)。
 というわけでメゾン・マルタン・マルジェラの店舗内装が気になっている。白いミニマルな空間に古典建築の意匠が黒い線画で描かれたやつだ。マルタン・マルジェラといえば白色で統一された内装、店員、小物商品がどこかの秘密結社を想起させるファッション・ブランドで、あまり透明感のない白の多用は、日本の建築関係者ならば藤本壮介やMUJIハウスを連想するかもしれない。あるいはサティアンか。
 しかしここで特殊なのは、マルジェラがアパレル業界の常として硬派?な建築的抽象化を拒むのではなく、そうかといって他企業のように破廉恥?な懐古趣味を弄ぶのでもないということだ。マルジェラが選ぶのは具象と抽象、そして建築とグラフィックの中間に引かれた細い道であり、なおかつそれは郷愁を感じさせないほど硬質な古典主義の雰囲気を纏っている。半ば抽象化された具象、あるいは建築化されたグラフィック、そして脱歴史化された歴史的破片、こうした曖昧な要素が積層して生み出されたインテリアは、それが建築家にもファッション・デザイナーにも不可能だったという点で独創的なものである。
とまあ、今回はどういうわけかメゾン・マルタン・マルジェラの良さについて(ひどく大雑把に)力説することになったが、彼らがデザインする服それ自体にはあまり魅力を感じていないことを言い添えておかなくてはならないだろう。

ところでこの-philiaは主としてpublic-ationではなくarchiveのためにある。つまりたとえば五年後に今日の投稿を読み返したとき、こんな気取った文章と底の浅い議論に当然ながらひどく赤面させられるだろうという期待、そんなマゾヒスティックな悦びのために、このブログは存在する。

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